CREATE 1999/10/24

東北ツーリング20日目 (1999/08/25 Wed)


平泉

昨日は、大雨で元湯夏油で足止めを食ってしたのですが、 あれだけ降ったらもういいだろうと思ったのですが、今朝もかなり雨が強かったのです。

でも、天気予報では、今日は晴れのはずなのに、どうしたのでしょうか。
山から下りたら晴れているのかも知れません。

待っていても晴れそうもなかったので、大雨のなか、出発しました。
ところが、山を下りて行くにしたがって、だんだん晴れてきました。
金ヶ崎町まで下りてきたときには、すっかり雨は止んでいました。
たぶん、夏油温泉では、まだ土砂降りのはずです。
思い切って出てきて正解でした。

平泉で国道4号に出たのですが、やたらと混雑しているなと思ったら、 トラックが道路脇の田んぼに突っ込んでいました。
どうせ、居眠り運転か、よそ見運転でしょう。迷惑な話しです。

平泉は、めちゃ期待していたところなのですっごく楽しみです。
はじめに中尊寺に行きます。

中尊寺と言えば、金色堂ですが、わたしは期待をかけていました。
金色堂というのは、1108年に建てられてから、そのまま残っているそうですね。
金色堂までの道のりには、多くの建物があって、飽きないです。
しかし、ここは人が多いです。
木が鬱蒼と生い茂っており、木漏れ日がきれいです。

金色堂に着いて驚いたのは、拝観料の高さです。800円もします。
でも、楽しみにしていた金色堂ですから、見ないわけにはいきません。
金色堂は、それ自体が建物なのですが、 コンクリートの建物ですっぽりと覆われています。
まず、このコンクリートの建物がダサい。

しかも、中に入ってみて、写真撮影禁止でがっかり。
そして極めつけは、ツアー客の襲来です。
ベチャクチャ喋っていてうるさいし、情緒というのとは対極に居る人々です。
わたしはカッとして、ムカついて、金色堂を出てしまいました。
実は、金色堂でムカついたのは、ツアー客のせいだけではありません。
金色堂は、すべて金色に塗装されているのですが、その塗装が、 あまりにもマッ金金なので、下品で、美しいとは思いませんでした。
当時、芭蕉は光堂(金色堂)を見て、

五月雨の降りのこしてや光堂

とよんだわけですが、光堂は当時、ほんとうにこんなだったのでしょうか。
もっとも、ツアー客が居なければ、多少は感じ方が変わっていたかも知れませんが。


中尊寺


中尊寺金色堂


中尊寺金色堂旧覆堂


夢館(ゆめやかた)


中尊寺金色堂(パンフレットより)


中尊寺金色堂(パンフレットより)

金色堂までの道のりに、積善院という寺院があって、 そこに「奥の細道展」というのがありました。
おくのほそ道の各地の写真や、書、その他、芭蕉ファンとしては、 ひじょうに楽しめる内容でした。
ここは、たったの100円なのです。
100円にしては、すごく楽しめます。 金色堂より、こっちのほうが良かったです。
ここを訪れたのは、今日はわたしが最初みたいで、人気はなかったですが…。


平泉で、中尊寺と並び、有名なのは毛越寺(もうつうじ)です。
行くまでは、どうせ、中尊寺と同じようなもので、 同じようなものを見るのはカッタルイなあ、とか思っていましたが、 実際は、中尊寺と毛越寺は、ぜんぜんタイプの違う寺院です。
毛越寺は、美しい庭園が中心となっています。
毛越寺には、観光客が非常に少なかったです。
わたしみたいに、どうせ同じようなものだろうから、中尊寺だけでいいか、 とか何とか言って、毛越寺には来ない人が多いのではないかと推測したのですが、いかがでしょうか。

立派な伽藍は、当時のものは全く残っていません。
当時の毛越寺の南大門のさらに南に、現在の毛越寺は移転(?)しています。
当時の毛越寺跡は、現在は、庭園として残されており、 伽藍はほとんど建っていません。

当時の毛越寺は、現在のいわゆる毛越寺の敷地よりも、相当広かったようで、 現在宅地になっているところに、当時の毛越寺が点在していたりします。
そのひとつの、無量光院跡を見てきました。
当時の面影は、全くないです。
復元図を見て、ここにそういう寺院があったと想像するのも、楽しいです。

毛越寺の拝観料は500円ですが、この500円は価値があります。
ゆっくりと庭園を散歩するのも良いし、 昔の毛越寺に思いを馳せるのも、また楽しいです。

ところで、芭蕉は毛越寺には訪れていないそうですね。
ほんとうかな。


毛越寺の庭園


毛越寺にあったお地蔵さん。めちゃかわいい


無量光院跡


伽羅御所跡


柳之御所跡


次に訪れたのは、高館(たかだち)の義経堂(ぎけいどう)です。
高館は、判官館(ほうがんだて)とも呼ばれるようです。
歴史では、義経がここで自害したことになっているのですが、 義経は実際は死んでいなくて、北海道に渡ったとか、 モンゴルでチンギスハンになったなどの説があります。
日本人は、義経に対して同情的な説を支持する性質があることから、 ここが判官館と呼ばれるようになった、ということらしいです。 本当かどうかわかりませんが。
ちなみに、入山(というほどのものではありませんが)に、 200円かかります。


義経堂


義経堂

義経北行説について、もう少し書いておきます。
義経は、ここ平泉で自害したことにして、 ニセ首を幕府に送り、死んだことにして欺き、北に逃げたと言われています。
平泉から、遠野、釜石。釜石から海沿いに北へ進み、宮古、八戸。 八戸から西へ進み、津軽半島の十三湖方面に進んだとされています。
十三湖は、今回のわたしのツーリングで14日目に訪れたところです。

ここは当時、十三湊(とさみなと)があり、藤原秀栄が治めていたところです。
義経は、秀栄を頼って、ここ十三湊を訪れたのではないか、と言われています。
当時、十三湊では、中国、ロシア、モンゴルなどと、 独自の貿易を行なっていたのではないかと推定されています。
ここから義経がモンゴルに渡った可能性もある、ということになります。
また、十三湊から北に上り、三厩から北海道に渡ったという説もあります。

三厩(みんまや)とは、義経を北海道に渡らせた3頭の馬からきた名前である、 という説もあるし、また三厩の義経寺で北行きの機を窺っていたが、ある日、龍が空を飛び、 義経を北海道に連れて行ってくれたという説もあります。
津軽半島の最北端「龍飛崎」という名称は、 その、龍が空を飛んだ伝説から付けられたということらしいです。

こういう話しはバカバカしいと思う人もいるでしょうが、 わたしはこのように夢のある話しは大好きです。
義経が平泉で死んだかどうかについて、真実を追究することももちろん大切ですが、本当に真実がわかるまでは、夢に浸っていたいという気持ちも大きいです。


次、達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)です。
これは、奥州藤原氏が建立したという気がしますが、 それより以前から、108体の毘沙門天をまつる祈願所として、 存在していたらしいです。
のちに、奥州藤原氏が、七堂伽藍を建立したということです。
またそのあと、伊達正宗も再建しているらしいですね。
火事などもあり、合計5回も再建されているらしいです。
ま、いろいろあったみたいです。

顔面大佛は、源義家が、馬上から矢を射って彫ったという伝説があります。
そんなわけはないと思いますがね。

ここに入るためにも、300円かかりました。


達谷窟毘沙門堂


顔面大佛


厳美渓、猊美渓

平泉のあとは、一関です。
厳美渓(げんびけい)に行きます。
磐井川が川床をけずって、不思議な景観をつくりあげたものです。
確かに、面白い地形ではありますが、あんなに人がいっぱいタムロしてちゃ、だめでしょう。
マヌケです。

ここでは、郭公だんご(かっこうだんご)という名物があります。
川を隔てたところのだんご屋で売っていて、その売り買いのしかたが面白いです。
川を隔ててワイヤーが張ってあり、それに籠がぶらさげてあります。
こちら側で、籠にお金を入れて、木の板を叩くと、 その音を聞いて、だんご屋が紐を引っ張って籠を回収し、 お金の代わりにだんごを入れて返してくれるというもの。
このとき、だんご屋のほうが高い場所にあるので、籠がサーッと下りてくるんです。
面白いでしょ。


厳美渓


郭公だんご

厳美渓の次は、猊美渓(げいびけい)です。
なんでこんな変な名前なんでしょう。
参ったネ。
ここは舟に乗って渓谷を楽しむというものなのですが、 あまり良くなさそうだったし、1500円と高いので、やめてしまいました。
看板があったので、それを写真に撮ってきましたが、いかがですか?


猊鼻渓にあった看板


真湯キャンプ場

今日は、真湯キャンプ場(しんゆきゃんぷじょう) でキャンプしようと思います。
真湯キャンプ場というのは、一関から栗駒方面に進んだ国道沿いにあります。
今日はとても寒いので、走るのが厭になります。

真湯キャンプ場には、ひとりしか居ませんでした。
遠目に見た限りでは、女の子に見えるが…。

荷物を降ろしてテントサイトに入ったのですが、 さっきの人は消滅していました。
テントに入ってしまったのかもしれません。


真湯キャンプ場

気にせずテントを設営していたのですが、 しばらくして、さっきの子が戻ってきました。
やっぱり女の子でした。
しかも、真っ黒に焼けて健康的な可愛い子です。
25歳くらいかな。
もっと若いかも知れません。
あとで話ししよ、ということにして、テントの設営を続行します。

あとで、弁当とビールを持参して、さっきの子(仮にKさんとします)のテントの所に遊びに行きます。
Kさんは、山奥のキャンプ場でひとりでもキャンプしてしまうだけあって、 やはり相当変わってます。
チャリンコで旅しているのですが、愛知県から東北まで、 まったく輪行せずに自走で来ているそうです。
6月の中旬から、ずっと走っているということで、 すでに2箇月にもなっているそうです。
しかも、鳥海山とか、湯殿山、月山にも登山してしまったということです。
単車なら登山口まで、エンジンの力で登れるのですが、チャリンコだと、 登山口までもが、自分の力で上らなければなりません。
しかも、鳥海山なんて、往復で8時間くらいかかる本格的な山ですから、ほんとすごいです。
元々登山の人みたいですね。わたしが遊びに行くまで、 ラジオで天気情報を聞いて、天気図を書いていました。 (そういうラジオ放送があるらしいです)。
毎日書いているらしいです。
これからも旅は続くそうですが、9月中旬には戻らないといけないそうです。
その理由が「友だちの結婚式に出ないといけないから」だそうです。
こんなに真っ黒に焼けていて、結婚式で浮くぞー、と思ってしまいました。

Kさんは、チャリンコの旅だから、わたしよりも荷物は少ないみたいです。
でも、生活のためのものは、装備がしっかりしていました。
話しているとき、暗くなってきたら、ロウソクをつけてくれたし、 わたしが蚊にかまれて、かゆいかゆい、と言っていたら、 蚊取り線香を付けて、ポキポキと3つくらいに折って、 いっぱい火をつけてくれたりしました。
わたしは、ロウソクも蚊取り線香も持たないので、今度見習いたいと思います。

ロウソクは直径5cmくらいの短いものなのですが、 ロウソクの火は雰囲気がでていいですねえ。
風の具合によって、ロウが片方だけ溶けて、片方だけ堤防が決壊して、 こぼれて流れてしまったのですが、 そのロウをかき集めて、溶けたロウの池に戻したりしていました。
でも、また溶けて流れるだけなので、あまり意味なかったです。 わたしがロウソクを180度回転させて、堤防を復活させようとしたら、Kさんは「そういう方法があるのか」と言って感心していました(笑)。 ロウソクをいじりながら、いろいろ話していたのですが、 そのうち、堤防を復活させることに夢中になってしまいました。

結局今日は、わたしたち以外は誰も来なかったのです。
10時くらいまで2人で話ししていました。
こうやって暗闇で2人でしゃべっていたら、 なんだか恋人同士でしゃべっているような、そんな錯覚にとらわれます。 (むこうは、これっぽっちも思っていなかったでしょうけど…)。
それと、彼女と話していると、元気がでてきます。
これからの旅に役立てようと思います。


ロウソク

つづく