CREATE 1999/10/26

東北ツーリング22日目 (1999/08/27 Thu)


尾花沢

徳良湖キャンプ場でキャンプしていたのですが、 朝、4時頃から、空砲と思われる音で目がさめました。
けっこう近くで鳴っているようで、はじめ、何の音かわからなかったので、 気が気ではありません。
銃で撃たれるんじゃないかとか、地元のバカヤローが、 わけわからないことをしているのかも知れず、 身の危険を感じます。
結局、何の音かわからずじまいだったのですが、たぶん空砲だと思います。
近くの農家が、からすを追い払うために発砲しているのではないかと…。
もうちょっとゆっくり眠りたかったのに…。

昨日の天気予報では、今日は雨になるとは言っていなかったので、 朝起きたときに、土砂降りになっていたのには驚きました。
夜中の2時くらいに、充電器のバッテリーを取り替えるときに、 すでに土砂降りだったので、それから、ずっと土砂降りだったようなのです。

今日は、松葉の上にテントを張ったのですが、 雨が降ると、松葉がテントに付着するので、撤収が大変なのです。
撤収を済ませて、スタートの時刻になっても、相変わらず土砂降りでした。

今日は、尾花沢では、祭りが開催されていて、交通がままなりません。
まず、養泉寺に向かいます。
寺自体は、大したものではありません。
芭蕉の句碑があって「涼し塚」と称されています。

涼しさを我が宿ににしてねまる也


養泉寺 涼し塚

養泉寺の裏手に、羽州街道の古道が残っているのですが、 完全に田んぼの畦道と化していて、有り難みもなんもないです。

清風の家跡も見てきましたが、だからどうだってんだ、という感じです。

雨も降っていて、楽しくない市内散策でした。


次に、山形の山寺に行こうかと思って、南に進路を取りました。
東根市まで進んだのですが、 雨がますますひどくなってくるので、一度計画を練りなおしてみることにします。

電話で、天気予報を聞いたら、雨は止みそうもありませんでした。
こりゃ、山寺はヤメだ(後回し)。
でも、どこへ行く?
今日は雨が止みそうもない、ということは、どこかの宿に泊まった方が良さそうです。

そこで、芭蕉の進路をもう一度考え直してみました。
芭蕉は、尾花沢で山寺に行くことを勧められ、寄り道をして山寺に行っています。
山寺から、また尾花沢に引き返し、尾花沢から、最上川を下っているのです。

山寺に行くのをやめるのであれば、最上川を下るしかない。
そう思いました。

では、今日の宿泊地は?
最上川を下ったその先には、、、余目がありました。
余目と言えば、4日目に宿泊した、民宿ふきのとうがあります。
こりゃ、ふきのとうに行くっきゃないぜ、と思って、早速電話してみました。

あのなつかしいお姉さんの声がします。
今日泊まれますか、と聞いたらOKとのことでした。

ふ「ではお名前をお願いします」
私「山中と申します」
ふ「では電話番号をお願いします」
私「0792」

ここまで言ったときに、電話の向こうで「ハッ」というような声が聞き取れたので、
「8月9日に泊めていただいた山中と申します」
と言いました。
お姉さんは、ちゃんと憶えてくれたようで、
「これは失礼しました」
と言っていましたが、失礼でもなんでもありません。
よくぞ半月以上も前のことを憶えていてくれたと感激です。


新庄

せっかく東根市まで南下していたのに、また北上することになりました。
時間の無駄といえば無駄ですが、こんなに贅沢に時間を使える旅って、 やっぱ、すばらしいと思います。

尾花沢まで戻り、更に北上し、新庄市に入ります。

最上公園に行ってみました。
ここは新庄城の本丸跡なのですが、その名残は全くないし、 公園もそんなに良い公園ではありません。
行く価値はないでしょう。

次に、ふるさと歴史センターに行ってみました。
ここもあんまり期待はしません。
芭蕉に関する情報が、ちょっとでも得られたらいいな、と思って行ってみました。

しかし、ここで展示されているのは、新庄の市民には有益な情報だけだったのです。
新庄の昔の暮らしぶりや、昔のものが展示されているだけでした。
芭蕉の情報なんて、これっぽっちも得られませんでした。

ところが、地下の展示室に入ってみて、びっくりしました。
ここはまるで倉庫です。
新庄の古いものがいっぱい集められて保存されているだけの倉庫です。
節操無く古いものが並べられて(というか詰め込まれて)います。
しかし、それが逆に面白いのです。
おもちゃ箱をひっくり返す楽しみに近いものがあります。
生活、農業、工業、商業、機械、電気製品……ありとあらゆるものが、 詰め込まれています。
これは面白いです。

帰りに、受付のお姉さん(新庄市の職員みたいでした)に、「地下が面白かったです」などと感想を言ったら、あれは、元々倉庫だったので、本来公開してするものではなかったのですが、 最近、公開することになったのです、ということでした。
お姉さんは、わたしへの応対は、流暢な標準語だったのですが、 そのあと、知人が来て、ベタベタの方言でしゃべっていました。
言葉の切り替えがすごいです。

そう言えば、新庄といえば、来年、山形新幹線が延長されて、新庄まで来るらしいですね。
関係ないですけど。


ふるさと歴史センターの倉庫


ふるさと歴史センターの倉庫


最上

新庄から国道47号を西に行けば、最上川と合流します。
ここは本合海といい、芭蕉がおくのほそ道の旅で舟に乗り換えた場所なのです。
当時、ここから日本海に出る方面に道路は無く、もっぱら舟を利用していたのです。
ちなみに、ここに道路ができたのは、明治天皇が行幸するときです。
芭蕉は、本合海から清川まで舟に乗って下りました。

本合海には、芭蕉船出の地の碑がありますが、 現在はその名残はほとんど感じられません。
わたしもここに立ち寄りましたが、大雨で楽しむどころではありません。


本合海 芭蕉乗船の地


本合海 芭蕉乗船の地より最上川を見る

本合海から少し下流に、道の駅があるのですが、 ここは韓国の建築様式に則った道の駅で、はっきり言って、変です。
ここでひとりの単車乗りに会いました。
わたしは、最上川の川下りの舟に乗ってくるよ、と言ったのですが、 彼はあまりそれには興味がなかったようなので、ちょっとだけ話しして別れました。

最上川の川下りは、本合海から 5km ほど下流から乗船できます。
かなりの待ち時間があったのですが、これに申し込みました。
たしか1時間くらい待ったと思います。
昨日のおくのほそ道探求で勢いづいて、 芭蕉を徹底的に追っかけようという気持ちになっていたからです。

川下りを待っている間に、なんと、さっき道の駅で会った彼が戻ってきました。
彼(H君としましょう)もいい加減なもので、もう気が変わったという感じです。
そういうわけで、一緒に川下りに行くことになりました。

気分はすっかり芭蕉気分…といきたいところですが、ここの川下りは、 けっこう興冷めなところがあります。
川下りは、やはり、櫓で漕いで欲しいと思うのですが、モーターでした。
最上川下りと言えば、激流というウワサだったのに、実際はのんびり、 っていう感じで、かなりがっかりしました。
最近は、雨が多いので、かなり激しいかと思ったら、 雨が多ければ水かさが増すので、逆に流れがゆるやかになるようですね。
しかし、水かさが低くても、それほどのものではないような気がします。
関西には、瀞峡とか、保津川下りとかあるので、そっちの方がいいです。

1時間川下りのあと、20分くらいかけて、バスで元のところに戻ります。
川下りが1930円で、バスが500円くらいだったと思います。
ちょっと高いです。

H君とは、川下りのあと、別れました。
今日は、秋田の三崎キャンプ場で泊まると言っていました。


最上川下り

わたしは、川下りのあと、仙人堂に行きます。
仙人堂は、川下りの舟から見えるのですが、芭蕉が訪れているので、 わたしもぜひ渡ってみたいと思ったのです。
仙人堂への渡し舟のところに行ってみました。
白旗が置いてあって、それを対岸に向かって振ったら、 対岸から舟で迎えに来てくれるというシステムなのですが、 いくら振っても来てくれません。
旗を振ると言っても、どこに向かって振ればいいのかわからなかったので、 ただ漫然と振っていましたがダメです。
近くの商店で聞いたら、船頭はちゃんと居るはずだというので、 もう一度チャレンジしてみました。
対岸の、ちょっと離れたところで、火を燃やしている人がいたのですが、 たぶん、あれが船頭なんだろうと思って、念を込めて旗を振ったら、ようやく気づいてくれました。
そしてすぐに迎えに来てくれました。

仙人堂までの往復で、300円くらいだったかな。とにかく安かったです。
船頭のおっちゃんが、5時半までに戻りたいんだが、と言っていたので了解する。
もっとも、長く居ても見るものがあまり多くありませんから…。


仙人堂


仙人堂

その次に訪れたのは、清川の関跡です。
本合海で船に乗った芭蕉が、舟を下りた場所にあたります。
現在は、清川小学校になっていて、 その一角に清川の関と、芭蕉上陸の地の碑、芭蕉の句碑、像が立っていました。

五月雨を集めて早し最上川


清川 芭蕉上陸の地


余目ふたたび

余目(あまるめ)の民宿ふきのとうに向かいます。
知っているところは本当に安心できます。

またあの優しい笑顔で迎えてくれました。
わたしがまだ東北に居たことに驚いていました。

なんと今日はわたし1人みたいです。
勝手知ったる宿なので、のびのびと暮らします。
めちゃくちゃ安らぎます。

食事も嬉しいです。
おねえさんと話しながら食べてました。
先日、ふきのとうさんのところの一家で、中尊寺に行ったそうです。
日時は、数日ずれていただけでした。

ここのお姉さんは、今日に限らず、食事のときには、 お客さんに付き合ってくれます。


余目までの途中にあった風車


民宿ふきのとう



ふきのとうの夕食

つづく