北岳
毎年恒例としつつも、なかなか実施されることのない登山企画ですが、今年久しぶりに開催されました。
年 | 実績 |
---|---|
1997 | 富士 (御殿場口) |
1998 | 中止 |
1999 | 立山 |
2000 | 中止 |
2001 | 中止 |
2002 | 北岳 |
いつもはおいらが計画することが多かったのですが、今年は和尚が計画してくれます。なかなか計画しないで企画倒れになることが多かったため、見かねて計画してくれたみたい(?)ですかね〜。
この企画は当初、おいらが登山に行きたくて始めたものだったと思うのですが、今ではいつも一緒に行く、4人のメンバー、彼らのほうが登山に熱心になってしまったですね。
メンバー紹介。
名前 | 備考 |
---|---|
和尚 | 今回の山行を計画してくれました |
センセー | |
ヤマペン | 車を出してくれた |
もったに | |
おいら | 唯一関西から参加 |
今回は和尚が計画してくれたのだけど、最初は仙丈ケ岳に行こうという話しだったので、おお〜いいね〜、ってな感じだったのですが、細かい計画を立てている段階で、北岳に変更と通達があった。これも、おおっ!いいね〜、と思った。
仙丈もいいけど、北岳のほうが良さげだと思っていたので、我が意を得たり、みたいな感じで嬉しかった。
登山の8日前、8月1日のこと。
おいらは不幸に見舞われた。
左足の小指を骨折してしまったのです。
骨折の原因は、テレビを蹴飛ばしたことです。(蹴飛ばしたというか、走り出そうとしたら、そこにテレビがあったわけですな)。
病院に行って見てもらったら、骨折していることが判明したので、医者に8日後に北岳に登山するんだけど、と相談したら、「ま、やめとった方がええと思うけど、別に行ってもかまへんで」と言われた。絶対にやめとけ、と言われないということは、骨折していても、何とか登山することはできそうだと思えた…。
骨折自体は、テーピングで巻いて固定することにより、3週間から6週間くらいで治るということだった。テーピングの仕方を医者に詳しく聞き、これで何とか登山をしてやろうと思う。
1日目は昼に甲府に集合して、甲府から広河原、広河原から御池小屋または肩の小屋まで登る予定です。
甲府駅集合のためには、最も遠いおいらが急ぐ必要がある。
姫路駅を6時ジャストに出発して、新神戸でのぞみに乗り換える。
名古屋から特急ワイドビューしなの3号で塩尻、
塩尻で特急あずさ58号に乗り換えて、甲府に11時5分に到着する予定なのです。
新神戸でのぞみに乗り換えないでひかりで行くと、名古屋で特急に8分間に合わなくなり、甲府に着するのが遅くなってしまうのです。
おいらは当日まったくトラブル無く甲府に向かっていた。骨折した小指が若干痛いが、靴をちゃんと履けばマシになると思う。
で、甲府に到着する5分位前に、東京組みのセンセイに連絡した。
東京組は、調布で待ち合わせて、ヤマペンの車に乗り合わせて甲府まで来る予定なので、今どの辺に居るのか聞いてみようかと。
そして電話してみてビックリ。センセの話しによると、まだ神奈川に居るということだった。とりあえず、1時間くらい遅れるとのこと。でも、なな何で神奈川なわけー!?
調布から甲府だと、神奈川なんて通らないっしょ!?
こりゃ急いで来る必要なかったぜー、と思いながら、どうやって待とうか考えていた。電車を降りたホームに、立ち食いのそば屋があったので、そこでざるそばを食べた。安い割にはうまい。
更に、どうやって時間をつぶすか考えていたら、改札を出る前の売店で、「雪苺娘」という、イチゴ大福みたいな大きなお菓子を売っていた。見ていたら、おばちゃんが「これはおいしいから食べときな」と言うので、近くのベンチで座って食べた。ほんとにおいしかった。また店に行って、おばちゃんに感想を述べて、ついでに写真撮影。関西には売っていないそうだけど、関東なら駅で売ってるってよ〜!みんな食うべし。
そのあと駅前のロータリー方面に出て、人間ワッチングしてたら、間もなく東京組がやってきた。意外と早かった。あとで地図見たけど、中央高速も、一瞬神奈川を通っているようですね。
東京組と合流して、早速北岳方面に進む。
途中で、水や食料を補給するためにコンビニに寄って行く。
物資の調達が終わり、いざ出発…ってところで、ヤマペン号停止。
どうしたんだ?
ガソリンが底をついていたので、ガス欠か?と思ったが、再度エンジンかけてみるも、セルが回ってない。バッテリーなの?
無理やりエンジンをかけて、近くのエネオスで、バッテリー交換となりました。
それにしても、エネオスバッテリーは高い。普通のバッテリーの倍くらいかかってしまう。ものは良いらしいんだが…。
十数分後、バッテリー交換で調子を取り戻したヤマペン号で出発。
しばらく市内を走行したあと、南アルプス林道に入る。
南アルプス林道は、5年前の木曽ツーリングのときに走った道だ。
当時は、一般車は夜叉神峠までしか入れなかったので、そこに単車を置いて、ひたすら歩いたのを思い出す。あのとき、ひと目北岳を見たいと思って、北岳が遠くに見えるところまで歩いて行って、そして引き返した。狭く長く(いちばん長い夜叉神トンネルは1キロ以上)暗いトンネルを歩いた。ダンプに轢き殺されそうで怖かった。(今ガイドマップを見たら、このトンネルは暗くて歩行不可と書いてある…汗)。
その道が、今どうなっているかとても興味があった。
それにしても山深く気持ちの良い道だ。市内とは空気が全く違う。
ただ、車がすれ違うときは、広いところでなければすれ違えないことがある。
ダンプやバスが来たら、けっこう難儀する。
見覚えのある小屋、夜叉神ゲートは、まだ存在していた。しかしその中には人がおらず、シャッターで閉ざされていた。昔はここで人がゲートを上げ下ろしして、一般車を通せんぼしていた。(思えば5年前、歩いて北岳を見に行くように勧めたのは、ここのオッサンだった…)。
夜叉神ゲートを通過してしばらく進むと、夜叉神トンネルがあった。
昔のままだった。
照明の間隔は短くなって、より明るくなっていたが、それでも歩こうという気は起こらないくらい暗い。5年前の記憶が甦る。ホントよくこんなとこ歩いたもんだよ。
思い出に浸りながらも、車は北岳の登山口の広河原に向かって進み続ける。
ダンプの後ろに付いてしまったので、快適に走ることができず、憂鬱だ。
単車でも抜きづらかった記憶があるので、車では無理だろうな。
前のダンプが対向車とすれ違う度に、おれたちも待たされる。
けっこううんざりする。
ダンプが大きく道を開けて待っていたとき、道をゆずってくれた気がした。
そんな筈はないのだが、同乗者も皆そのように感じたと思う。
対向車がかなり先に居て見えなかったからそう思ったのかな。
で、ダンプを抜き去って、対向車とすれ違って、どんどんダンプから逃げてゆく…筈だった。
そのときヤマペン号は、急に力を失って、加速しなくなった。
そして、そのまま停止してしまった。
狭い道で停止し、その横は、乗用車が通れるくらいの広さしかなかったので、交通を妨げることになった。下り方向に惰性でバックして、広い場所に移動するまで、交通妨害車両になっていた…。
かなり顰蹙だったけど、ま、仕方ない。
おれたちが抜いたダンプの運転手は、超怒ってたみたいだけど…。
落ち着いて原因を考える。
またバッテリーが空っぽになってしまったのか?
セルが動くから、違うみたい。
このパワーのなくなり方から言うと、電装系だと思うな。
たぶん、ジェネレーター、イグニッションコイル、その辺りではないかな。
しばらく車を冷やして動かし始めたら、1キロくらい走った。
そして同じ症状で止まる。
そんなことを何度か繰り返した。
南アルプスは、携帯電話は全く通じない。
どこかに連絡をするためには、甲府または広河原まで行って、公衆電話で連絡するしか方法はない。
通行の車に聞いたところ、広河原までは、まだ半分くらいしか来ていないということだった。まだまだかなりありそうだな。
おいらは、このまま何度も動かし続けて少しでも広河原に行った方がいいと思った。帰りは下りだから、停車せずに下まで行けそうな気がするし、電装系のトラブルだとしたら、多少無理しても車が壊れるようなことはないと踏んでいたから。
そのときちょうど登りのバスが通りがかった。一人バスで広河原に行き、JAFを呼ぼうという案がすでに出ていたのだが、バスが通りがかったことがあり、一瞬の判断に迫られた。そして、その案が採択されることになった。和尚が一人バスで広河原に行った。
一瞬の判断とは難しいものだ。
JAFを呼ぶことは止められなくなったということだ。
つまり、車を放置して、そのまま皆で広河原へ進むという選択肢はなくなった。
(それでも放置して、JAFを立ち往生させるという選択肢もあるが、それは皆に却下された)。
結局、車に残った4人のうち、ヤマペンを残して3人も、次のバスで広河原へ行くことにした。
そうなるのなら、はじめから和尚と一緒に広河原へ行っておけば良かったのに、一瞬の判断は難しい。
バスで広河原に行ったおれたち3人は、和尚を探し始めた。
広河原ロッジでJAFを呼んだのではないかと予想し聞いてみたら、確かにそのようなことをしていた人が居たとのこと。しかし、肝心の和尚は、広河原ロッジにも、バス停にも、広河原山荘にも居ない。
こりゃバスで下ってしまったな、と思った。
連絡を取るすべもないので、和尚とヤマペンの携帯に留守電を入れておこうと思ったが、2人とも留守電の契約してない。うーん。
おれたち3人は、他の2人の動きなどについて、今日のシナリオを検討した。
結局広河原で宿泊する以外には選択の余地がないと考えた。
とりあえず、3人だけでも宿泊を取る。
広河原ロッジのほうは満室だったので、広河原山荘の方に取った。
和尚はいずれ広河原に戻って来るだろうけど、ヤマペンは甲府で宿泊になるかも知れないな。
ま、どうしようもないので、山荘の大部屋でゴロゴロしながら待つ。
大部屋は他の人も大勢居るので、あまり盛り上がらない。それぞれがグループで来ているから、グループ間のコミュニケーションも進まず、中途半端だ。
夕食時にも残り2人は戻って来ず。
ちょっと申し訳ないな〜と思いつつも、しっかり食って、しっかりビール飲んでました。山小屋の食事といえば、カレーライスくらいしか食べたことがなかったのですが、ここの食事は生姜焼きとか洋風なものでした。あまり量を食べる気にはならなかったので、腹7分目くらいしか食べず。(しかし、ビールはけっこう飲んでたかも…)。
ほとんど食べ終わってゆっくりしているときに、和尚が現れた!
食べてる時とは、ややバツの悪いものですが、とりあえず、戻ってきてくれて良かった!
和尚によると、ヤマペンはJAFのレッカー車と共に甲府に下りて、今日は広河原に登ってくることは不可能ということでした。
明日、登る頃に広河原に来てくれればいいのだが…。
夕食を食べて、河原に散歩。
ただし、もったに氏は疲れて動かず。「もう寝るー」とのことだった。
3人で河原に散歩。
その後山荘の大部屋に戻ったが、することもないし、寝るっきゃない、という雰囲気。つまらないので、「寝んと遊ぼうや〜」を連発していたおいらですが、その後すぐに寝たのはおいらでした。
今日はいろいろトラブルが起こって、精神的に疲れたかも。
ま、いろいろあるよね。