崎津天主堂は、半島のようなところの海岸沿いに立っている。
わたしは、天主堂が何であるかというような予備知識を持たずに、今回の旅に出たので、写真でチラッと見た程度で、それが教会であることすら知らなかったのです (恥ずかしいことですが)。
崎津天主堂のある半島だと思い込んでいたのは、そのひとつ東の半島で、なかなか天主堂がみつからないので、おかしいな、と思っていたのですが、海をはさんで向かい側に見える半島の、海岸沿いに、神々しい崎津天主堂を見付けたときは感動しました。
崎津の向かいの半島から崎津天主堂を見る
ふたたび出発して、今度は崎津天主堂のある半島に入ります。
小さな駐車場があって、観光客のために開放してくれています。
付近の民家には、壁面に十字架を掲げた家が何軒かありました。 これを見て、はじめて、天草地方における、キリスト教の位置づけを知ったのでした。 (恥ずかしながら)。
崎津天主堂は、地味ながら、強力な存在感を放っていました。
鎮守の神様みたいに、地域の住民との密接な関係を感じました。 来る者は拒まず、というのも強く感じました。
靴を脱いで中に入ります。 中に絵が飾ってあるのですが、それはイエスがはりつけにされたり、 多くの殉教者のこととか、そういうことが書いてあるのです。
歴史の重みを感じます。
迫害を受けてもなお、キリスト教に心身を捧げる人のことを、 見たり読んだりすることを通じて、キリスト教の凄さを感じました。
ここはチャペルの椅子みたいのはなくて、畳敷きになっていました。
崎津天主堂
崎津天主堂からしばらく北上すると、大江天主堂です。
大江天主堂は丘の上に建っているので、単車で走って行くと、目にはいってきます。 天主堂の下のほうに、資料館かなにかがあって、そこに大きな駐車場があるので、そこに単車を停めて、そこから天主堂まで歩いてのぼります。 天主堂までの道は、ハイキングロードみたいな道で、なかなか良いです。
大江天主堂は、チャペルに椅子が配置されていて、 観光客らしき人が思い思いの場所に静かに座ってお祈りしているようです。
誰も私語をしていないし、したいと思わないのではないでしょうか。 それくらい厳粛な感じを受けました。
わたしも好きな場所に座ってお祈りをしました。 キリスト教のために殉死した人のことを考えました。
そして静かに席を立って、退去します。 誰でも自然とそうしてしまうのではないかと思いました。
大江天主堂
大江天主堂
大江天主堂