CREATE 1999/10/26

東北ツーリング21日目 (1999/08/26 Wed)


栗駒

昨日キャンプ場で一緒だったKさんを見送って、栗駒高原方面に向かいます。
出発の時間、ほんの10分ほどですが、負けました。
チャリダーは、朝早いですね。
彼女は一関方面に進んだので、ちょうど反対方向になります。
同じ方向でなくて良かった…。

栗駒峠から、須川湖方面にそれて、鳴子方面に南下します。
途中、温泉がいっぱいあったのですが、そのなかでも最も秘湯っぽい、 湯の倉温泉に行ってみました。
ダートを10キロくらい走って行き、そこから更に20分くらい歩きます。
景色がとても良くて、ダート、歩きの距離も適度でした。

湯の倉温泉は、1件宿で、ランプの宿でした。
電気が通っていない…。
でも、けっこう大きな宿でした。(客は少なかったけど…)。
渓流沿いに作られた岩風呂は、湯の温度もちょうど良かったし、きれいだったです。
内湯も使わせてくれるし、ここはオススメです。500円でした。


湯の倉温泉

湯の倉温泉からちょっと進んだところに、仙台藩寒湯番所跡、 というのがあるので行ってみます。
これは、たぶん、関所の跡みたいなものだと、勝手に理解してみました。
ここで、通行人を取り締まっていたのでしょう。
まあ、どうってことのない観光地です。


仙台藩寒湯番所跡


岩出山

更に花山湖を経由して鳴子に向かいます。
鳴子に向かう前に、岩出山に寄っていくことにします。
岩出山は、芭蕉が、おくのほそ道で訪れている町だからです。

はじめに天王寺に行きます。
ここは、大阪の四天王寺などと同様、 奈良時代につくられた四天王寺のうちのひとつらしいのです。
しかし、見るからに貧相な寺なので、とてもそういう感じがしません。
当時の七堂伽藍は焼失してしまい、 現在のものは、藤原秀衡によって再建されたものだそうです。

次に、有備館に行ってみました。
ここは日本庭園で有名なところです。それなりにきれいです。
あと、藩校としても有名です。当時の建物が保存されています。
芭蕉は元禄二年に、おくのほそ道の旅に出ているのですが、 有備館の藩校は元禄四年にできたということです。
日本庭園はあったのかな。


有備館

つぎに城山公園に行きます。
城山公園というのは、岩出山城跡のことです。
ここから岩出山の町が一望できます。
あまり大きな町ではありませんが…。
岩出山城というのは、伊達正宗が、仙台に移るまでの12年間、 居城にしていたところなのです。
岩出山を居城にする前は、米沢に居たそうですね。


岩出山城跡から見た町の風景

天王寺追分というところにも行きました。
ここは出羽街道と上街道の分岐点です。
上街道の一里塚も保存されているので、旧道マニアにはタマラナイです。
天王寺追分から、鳴子方面は、出羽街道の旧道を通って行きました。
旧道には、思いも寄らぬものが道端にあったりするので、 けっこう楽しめます。


天王寺追分

旧道から国道に出てすぐのところに、美豆の小島(みずのこじま)があります。
美豆の小島の標柱から、田んぼの方に入ったりしてウロウロしてみたのですが、 結局見つけることができませんでした。
芭蕉の句碑は見つけることができたのですが…。
もうなくなってしまったのかな。
当時は江合川の中に、島のような形で存在したのではないかと思うのですが、 今は、田んぼの中に小島みたいな形のものがあるだけらしいです。


鳴子

鳴子(なるご)は、義経が平泉に入るときに、ちょうど赤ちゃんが産声をあげたため、 鳴子と呼ばれたそうです。ほんとうかな。
鳴子温泉は日本でも最古の湯のひとつですね。
玉造の湯、とも呼ばれるそうです。

わたしは温泉には寄っていきませんでした。
芭蕉も温泉には寄って行かなかったようですね。

鳴子には、鳴子峡という峡谷があるのですが、 わたしは少ししか入ってみませんでした。
写真は、鳴子峡の写真としては、あまりにもかけ離れていますが…。


鳴子峡

鳴子の町には、尿前の関(しとまえのせき)というのがあります。
当時の出羽街道の関所です。
芭蕉もここを通るのですが、通行手形を持っていなかったため、 いろいろ取り調べされて、なかなか通してもらえなかったらしいです。
芭蕉さんも、けっこうムカついていたようです。

蚤虱馬の尿する枕元
(のみしらみ うまのしとする まくらもと)

尿前の関の近くには、出羽街道が残っていました。
ここは中山越といって、鳴子の西方面、中山平、堺田へとつながっています。
ここを芭蕉はムカツキながら通っていったのでしょう。

なお、現在の尿前の関は、復元したものです。
当時の関跡は、民家の横を通って、奥のほうに行ったところにあるのですが、 現在はその名残りはありませんでした。


尿前の関(復元)


尿前の関(当時の場所は、今こんなです)


尿前の関の近くに残っている出羽街道中山越

尿前の関から少し進むと、国道の脇に、「小深沢→」という小さな案内柱がありました。
普通なら見逃してしまいそうなものです。
小深沢、大深沢、中山という経路で出羽街道が保存されており、 これも、おくのほそ道にほかなりません。

わたしはこれを歩いてずっと進みました。
すばらしい道でした。
ここを芭蕉が通ったと思うと、感動して背筋がゾクゾクします。
景色もすばらしいです。
人は、わたし以外には誰も見かけませんでしたが…。
中山まで抜けようかどうしようか迷ったのですが、 どうしても引き返すことはできません。
もうひとりのわたしが、引き返すなと言うのです。

どんどん進んだとき、草刈りをしているおじいさんと出会いました。
こうやって、整備してくれているからこそ、 こんなすばらしい道が残っているのだなと改めて感動。
しばらく話したあと、更に進みます。
中山に抜けるには、一度国道に出なければならないそうです。

国道に出てから、単車を置いた場所まで戻るのですが、 とても道のりが長く感じます。
やはり、昔の道は険しいけれど、歩いて行くには最適な道が選ばれているんだなと、 再認識しました。


おくのほそ道 出羽街道中山越


おくのほそ道 出羽街道中山越

今度は、単車で、中山平まで行き、また歩いてみようと思いました。
中山越は、途中まで単車で行けたので、田んぼの中をかなり進み、 途中から歩いて行きました。
畦道に単車を置いていたため、交通の邪魔にならないかという危惧があったため、 あまり奥まで歩いて行くことはできず、 途中で戻ることになってしまいましたが、この道も最高でした。
もうひとりのわたしが「もっと先に進むんだ」と言うのに逆らって戻るのは、 すごく勇気が必要でしたが、仕方ないです。

その先は、当時の道はあまり残っておらず、 国道に併合されてしまっている感じでした。

国道を単車で進むことになりますが、堺田(中山峠)には、 封人の家(ほうじんのいえ)があります。
または旧有路家住宅といいます。
封人とは、国境を守る人のことです。
ここ堺田では、有路家が勤めたということです。
重要文化財に指定されています。

堺田から南に、山刀伐峠(なたぎりとうげ)があり、 おくのほそ道のなかでも、最も過酷な道であると言われています。
芭蕉が通るとき、死を覚悟した、ということですから、相当なものです。
芭蕉が、堺田から山刀伐峠に向かう際、たいへんな雨に遭ってしまい、 進むに進めず、ここ封人の家で泊めてもらった、ということらしいです。

封人の家の前には、小さな博物館もありました。


封人の家

わたしの今回の旅は雨が多く、わたしは雨男なのではないかと悩んだのですが、 ここにきて、誰が雨男だったか判りました。
雨男は芭蕉だったのではないでしょうか。
振り返ってみると、わたしが今回の旅のなかで、芭蕉の足跡を辿っているときに、 ひどい雨になることが多かったです。
やはり、そうに違いないです。

いよいよ、山刀伐峠に向かいます。
現在は、トンネルが掘られて、10分もかからないで通過できてしまうのですが、 当時はかなりの難所だったようです。
山刀伐峠は、トンネルを通る新道と、それ以前に使っていた、曲がりくねった旧道、 それと、芭蕉の通った古道、の3つがあります。
今では、旧道を走る車もほとんどありません。
旧道を走ると、何度も古道とクロスします。
古道は、現在では、荒れて通れなくなってしまっているような箇所も多いです。
峠付近は、比較的整備されているので、歩いてみました。
こんな道をずっと峠越えするのは、ほんとうに厳しいと思います。
ただし、死を覚悟する、というくらいなので、 当時は、わたしの想像以上に険しかったのだろうと思います。


山刀伐峠


山刀伐峠


尾花沢

山刀伐峠は、充分な散策時間がなかったので、適当に切り上げて、 尾花沢に向かいます。
尾花沢は、芭蕉が、おくのほそ道の行程のなかで、 もっとも長く滞在した町です(10日間)。
今日は、もう観光の時間がないので、 宿泊予定の、徳良湖キャンプ場に向かいます。

徳良湖キャンプ場に行ってみたら、看板に、「キャンプ場への車の乗り入れを全面禁止いたします」と、思いっきり書いてあるので、驚きました。
でも、よく読んでみると、車の乗り入れは禁止だが、 キャンプは可能と書いてありました。
良かった良かった。
でも、ちょっと焦りました。

キャンプ場には、誰もいませんでした。
ここは、徳良湖のまわりの松林をそのままキャンプ場にしたものです。
当時は松林に車を乗り入れしていたらしいのですが、 そのために、松林が痛んでしまったため、車の乗り入れを禁止にしたらしいです。
松林でキャンプするのは、ちょっと贅沢な気がします。
地面は、松葉が堆積しているので、フワフワして、寝るのに都合がいいです。
マットもいらないかも知れません(そんな訳ないか)。
設備も整っていて、なかなか良いキャンプ場です。

誰もいないので、思いっきり真ん中でキャンプしました。
トイレがちょっと遠いのが難か。
誰もいないと、弁当食べたりビール飲むときの話し相手がいないので、さみしいです。。

ここ数日、何故かデジカメのバッテリーの消耗が激しかったので、 充電しないといけません。
トイレにコンセントがなかったのですが、 換気扇の電気が天井のコンセントから取られていたので、 それを抜いて充電器をセットしました。
今日は、わたし以外に誰もいないので、誰も迷惑しないからいいや、って感じ。
テントからトイレが遠いので、電池を交換しに行くのが面倒でした。
1セット4本の充電に3時間20分もかかるので、深夜に取り替えに起きました。

つづく